ラブレター504【男1:女1】
声劇用 男性1名女性1名 目安35〜45分
・保坂 汐梨(ほさか しおり):大学生。20歳。子供のころ片耳が聞こえなくなる。口数は少ないが明るい。心を開いた相手にはよく話す。
・優木 惟人(ゆうき これひと):大学専任講師。32歳。専攻は心理学。若い時に結婚、妻と死別。汐梨の履修した講義を担当する。
※タイトルと台本中の「504」は「ごーまるよん」と読んでください
※「汐梨M」「惟人M」と表記してモノローグが入ります
※病状については実際の症例と異なる点がございます
【参考】
数年後の保坂汐梨のお話です
以下をコピーしてお使いください
題名「ラブレター504」
作:みつばちMoKo
保坂 汐梨:
優木 惟人:
https://mokoworks.amebaownd.com/posts/49775518/
【研究室】
(ドアノック)
001 汐梨:失礼しまーす。 先生? ……あれ。いない。
よっと。ふー。重かった。
(本棚の写真立てに目を向ける)
……いつになったら、この写真立ての中、変えるんだろ…。
002 惟人:あれ?来てたの? もしかして待ってた?
003 汐梨:いえ、今来たばっかりです。 これ。先生のでしょ?
004 惟人:え? あ、そう。僕のだ。
005 汐梨:やっぱり。
006 惟人:ありがとう。 でも…よく僕のだってわかったね?
007 汐梨:だってこんなの先生しか持たないから。
008 惟人:ひどいな。これいい資料集なんだよ?分厚いけど。
009 汐梨:変わってるって言われません?
010 惟人:心理学やってる人間なんて変わり者ばっかりさ。
011 汐梨:そうなの?
012 惟人:うん。僕の恩師の先生が言ってた。心理学を学ぼうをする人は変人ばっかりだって。みんな自分のことで精一杯なのに、他の人の気持ちとか集団の心理とか考えようとする時点で変わり者なんだってさ。まぁ恩師の先生自身も自戒を込めて言ったんだと思うだけれどね。
013 汐梨:ふーん。 この分厚い本も変わり者しか持たないってこと?
014 惟人:そういうこと。
015 汐梨:まぁ……ひとりでいた私に声をかけるぐらいだもん、変わり者に違いないかも。
016 惟人:だってそれは…。授業終わったのにぼーっと窓の外見てる子がひとりいたら、気にならない? っていうか、いつもひとりで行動してるのも知ってたし。
017 汐梨:ひとりの方が気が楽だったの。気を使わなくていいし……気を使われないし。
018 惟人M:彼女が気を使われるのが嫌だということは感じていた。 声をかけるのを躊躇しなかったわけではないんだけれど。 ぼーっと窓の外を見てる横顔にちょっと見惚れていたのは内緒。
【大学 講義(回想)】
019 惟人:では今日はここまでにします。 次の授業でも今日のプリント使うので忘れないようにしてください。
ふぅ。疲れた…。研究室もどろ。 あれ…あの学生…また…。
(窓の外を見てる汐梨の席の方へ近寄っていく)
あの…。授業終わりましたよ。 ……あのっ! 授業が終わっ!
020 汐梨:(惟人の言葉に被るように)先生…。
021 惟人:授業、終わりましたよ。
022 汐梨:……そうみたい…ですね。 ありがとうございました。
023 惟人:……ねぇ。 君、ひとりで大丈夫?
024 汐梨:え? あー…ひとり、楽なんです。
それにここの階段教室大きいから、集団にまぎれて自分ひとりなこと忘れるし。
025 惟人:……そう。 何かあるんだったら相談乗るからね。 これでも大学の学生相談員やってるし。
026 汐梨:ふふ。ありがとうございます。
027 惟人:まぁ心理学専攻でカウンセリングできるだろうし、まだ偉くはない講師って立場で暇だろうし、って教授に勝手に推薦されたからやってるんだけれど。
028 汐梨:へ?
029 惟人:あ…ええとなんていうか、…まだ若いから、そう!若いから学生さんの気持ちもわかると思うし。
030 汐梨:ふふ。先生変わってるって言われません?
031 惟人:え? あぁ、たまに?
032 汐梨:じゃあ何かあった時にはよろしくお願いします。
033 惟人:あっ、はい。 遠慮なく、どうぞ。
034 汐梨:では、授業ありがとうございました。 失礼します。
035 惟人:はい、また来週。
036 汐梨M:私に声かけるなんて変な人。でも面白そうな先生。そう思ったある授業の終わり。言葉を交わしたのはこれが最初。向こうはなぜか私を認識していたらしいけど。
【研究室】
037 汐梨:先生の奥さんって綺麗な人だよね。 これいつ撮った写真?
038 惟人:え、あぁ写真立ての?
えっといつだったかな…。亡くなる1年ぐらい前かな。
それ飾っておくと他の先生にも学生にも「いい人」認定されるから、なかなか片付けられないんだよね。
039 汐梨:ふーん。 どこで出会ったの?
040 惟人:なんていうんだろ? 近所の子? 幼馴染? 子どもの頃から知り合いだった。 その頃から体は弱かったんだ。
041 汐梨:どっちが先に好きになったの?
042 惟人:一番仲の良い女の子だったし、まぁお互い自然に…だと思うけれど。 結婚は向こうから言われて。
043 汐梨:でも先生も好きだったから結婚したんでしょ?
044 惟人:まぁ嫌なところはなかったし、慕ってくれてるのは嬉しかったし。 親同士が盛り上がっちゃってね。
親には言ってなかったんだけれど……。
「私が死ぬまででいいよ。奥さんにならせて。多分何年かだけだから」って言われてたんだ。
045 汐梨:どういうこと?
046 惟人:自分でそんなに長くは生きれないって分かってたんだろうね。 だから、死ぬまでって言ったんだと思う。普通その言葉は老後まで一緒にって意味で使うんだろうけど。
047 汐梨:「死が二人を別つまで」っていうやつ?
048 惟人:そう。 でもほんとに結婚して2年ぐらいでその別れはやってきた。 あっという間だった。
049 汐梨:悲しかった?
050 惟人:そりゃもちろん。しばらくは何もする気が起きなくて。 それで大事な人だったんだなぁって実感した。
051 汐梨:今でも?
052 惟人:それ…。答えによっては……傷ついたりしない? 今は君と付き合ってるのに。
053 汐梨:……一応気を使ってくれてるんだ。 確かに。 今でも大事って聞いたらやっぱりショックだろうし、今はもう大事じゃないって聞けば冷たい人って思うかも。
054 惟人:でしょ。
055 汐梨:で、答えはどっち?
056 惟人:……大事です。彼女も、君も。
057 汐梨:……ズルい答え。
058 惟人:君と付き合ってるのもズルいのかな…。
059 汐梨:どうして?
060 惟人:若いし、可愛いし、綺麗だし。
061 汐梨:どうしたの?
062 惟人:え?
063 汐梨:急に褒め出して。
064 惟人:いや、それは常に思ってることだから。
065 汐梨:……やっぱりズルい。そういうところ。
066 惟人:え?なんで?
067 汐梨:たぶん…奥さんも先生のそういうところが好きだったのかもね。
【カフェ】
068 汐梨:ごめんなさい、ただいまです。
069 惟人:おかえり。 電話、誰からだったの?
070 汐梨:友達。先生も見たことあると思う。先生の講義取ってるよ。
071 惟人:え、ほんと?
072 汐梨:私が学校で話す少ない友達の一人。私の事情も分かってる。
073 惟人:あ…耳のこと?
074 汐梨:うん。 まぁ少し事情がわかってる人がいると助かるってことを知ったの。
075 惟人:そっか。 その…さ。
076 汐梨:うん。
077 惟人:あのさ……。
078 汐梨:ん?
079 惟人:さっきね、マスターがコーヒーのおかわり持ってきてくれて。 汐梨の電話がまだ終わらなそうだったし、少し話をしてたんだ。
080 汐梨:うん。
081 惟人:右耳、聞こえなくなった原因……お兄さんの事故だって。
082 汐梨:マスターから聞いたの?
083 惟人:うん。
084 汐梨:それ、半分嘘で半分本当です。
085 惟人:どういうこと?
086 汐梨:おたふく風邪になって酷い熱が出て。でもおたふく風邪かどうかなんて病院に行かないとわからないでしょ?とりあえず、市販の薬を飲ませようと思って兄が急いで車で買いに出かけたときに事故にあった。
087 惟人:半分嘘って?
088 汐梨:兄がいなくなったのがショックで右耳が聞こえなくなったってこと。 でも、原因はおたふく風邪の合併症。医学的にあり得ることみたい。
089 惟人:そうなんだ…。
090 汐梨:そう、だから原因はおたふく風邪なの。 マスターには話したことがあって。 あの人、優しいから兄のことが原因だって思い込んでるみたい。
091 惟人:そっか。 でも、やっぱり悲しかっただろうに。
092 汐梨:うん、それはやっぱりね。家族だもん。大事な人が亡くなったら落ち込むよね。兄のこと大好きだったし。
093 惟人:……年上の人が好きなのはそのせいなのかな。
094 汐梨:ん? なぁに? こっち向いて話して?
095 惟人:無くしたものを求めるのって本能だからな。
096 汐梨:え?
097 惟人:いいや、ひとりごと。 マスターのカレー、美味しかったって言ったの。
098 汐梨:そうなの! 自分でスパイスから煮込んで作ってるんだよ。美味しいよね。
099 惟人:うん、またいつか食べに来たい。
100 汐梨:ここには大事な人しか連れてこないから。まぁ、先生はまた機会はあるかも、ね。
101 惟人:あっそうだ。昨日、あの本届けておいてくれてありがとう。
102 汐梨:また忘れてた、っていうかわざとでしょ。 だって、表紙開いたところに私宛っぽ
いメモがまた挟めてあったもの。
103 惟人:気づいた?
104 汐梨:「横顔の綺麗な君へ 明日はやっぱり駅前で」って。 私じゃない他の人が見たらどうするの…?
105 惟人:ちょっとラブレターっぽくって良くない?
106 汐梨:先生ってロマンチストですよねー?
107 惟人:なんで敬語?? 突き放された感じがするんですけど?
108 汐梨:ふふ、だって先生だから。
109 惟人:こういう時だけ、先生として扱わないでよ。
110 汐梨:奥さんにもしてた?
111 惟人:はい?
112 汐梨:奥さんにもこういうロマンチストっぽいことしてたの?
113 惟人:まぁ……無きにしも非ず。
114 汐梨:ふーん。
115 惟人:奥さんの方がお弁当とかにメモつけてくれるタイプだったから。 その影響受けたんだと思う。
116 汐梨:そっか。 ……羨ましいな、奥さん。
117 惟人:ん? なんて言ったの?
118 汐梨:ううん、ひとりごと。 今度、メモに返信しようかなーって。
119 惟人:ふふ、いつかやってみて。楽しみにしてる。
120 汐梨:帰ろっか。
121 惟人:うん。
(席を立つ)
122 汐梨:マスターごちそうさまでした。
123 惟人:ごちそうさまでした。また来ます。
(カフェを出る)
124 惟人:あっ、待って。俺こっち側がいい。
125 汐梨:ふふ、いっつも右側歩くよね。
126 惟人:……なんかね、こっち歩く方が…なんていうか、落ち着くんだ。
127 汐梨:……私に気を遣ってる??
128 惟人:そうじゃない。俺が右側歩きたいだけ。
129 汐梨:へぇ?
130 惟人:おかげで話すときは汐梨の方を見て話す癖がついたけどね。
131 汐梨:横向いて話すと何かにぶつかりそうになるから気をつけないとね。
132 惟人:ふふ。そうだね。
【研究室】
133 汐梨:失礼しまーす。
134 惟人:あっあっ。ちょっと座って待ってて。 教授に呼ばれたから行ってくる。
ごめん、好きにくつろいでて。
135 汐梨:えっ?は? 自分で研究室に呼んでおいて…。
……コーヒー貰っちゃおうっと。
わっ。
(写真立てを倒してしまう)
カーディガンに引っ掛けちゃった。
これ…なんだろ?…。
136 汐梨M:写真立ての裏に小さなメモが入っていた。見ちゃダメなものだって直感で感じたけれど、見ずにいられないのは人間の心理というもので。
でも、やっぱりやめとけば良かった。心臓がバクバクして苦しくなって研究室を飛び出していた。
「ずっと愛して。記憶の中だけでも」 …奥様らしき人の字だった。
【お墓参り】
137 惟人:まさか待ち伏せされてるとは思わなかった。
138 汐梨:内緒にしてやり過ごそうと思ってたでしょ。
139 惟人:だってお墓参りだよ、奥さんの。 あんまりいい気分じゃないかと思って。
140 汐梨:また気を使ってる。 でも、来たいから来てるの、私。
141 惟人:そっか。
142 汐梨:でも、来るの遅かった?
143 惟人:あー…もう墓前で手を合わせてきちゃった。
144 汐梨:私も挨拶したいな。
145 惟人:もう一回お墓のとこまで行く?
146 汐梨:いい?
147 惟人:いいよ、行こ。こっち。
(墓前に到着)
148 惟人:ここだよ。ここに眠ってる。
149 汐梨:ありがとう。
150 汐梨:さっきいっぱい話したの?
151 惟人:いっぱいじゃないけれど、話したよ。
152 汐梨:私も話していい?
153 惟人:もちろん。 僕はいない方がいい?
154 汐梨:どっちでも。
155 惟人:女同士の話とかする感じ? 喧嘩はしないよね?
156 汐梨:ふふ、喧嘩しにきたんじゃないよ。
157 惟人:じゃ、僕は先にさっきのところまで戻ってる。 ゆっくり話しておいで。
158 汐梨:ありがとう。ちょっと待ってて。
(惟人、立ち去る)
159 汐梨:始めまして。保坂汐梨と申します。
いま…、惟人さんとお付き合いさせてもらってます。
奥さまは、幸せでしたか?
きっと先生は優しいから、幸せでしたよね。
…正直ヤキモチ焼いちゃいます。
あなたの存在が大きすぎて、不安になっちゃうこともあります。
どうしたら不安を感じられずにいれますか?
どうしたらずっと先生と一緒にいられますか?
どうしたら……あなたを……超えられますか?
あなたが生きてたら女同士仲良くなれたのかな。
でももしあなたが生きてたら、私は先生と出会ってないかもしれないですね。
…ごめんなさい。
ただ普通に最近の先生の話をしようと思って来ただけなのに。
変なこと言ってごめんなさい。
本当に……ごめんなさい。
またいつか、来ますね。
(惟人が待ってるところまで戻る)
160 惟人:おかえり。 大丈夫だった?
161 汐梨:え?
162 惟人:なんか泣きそうな顔してる。
163 汐梨:うそ…。 なんかね、話そうと思ってたことあったんだけれど、…全然話せなかった。
164 惟人:そう。もう一回話してくる?
165 汐梨:ううん、いい。ごめんね、無理やり来ちゃって。ありがとう、お話しさせてくれて。
166 惟人:こっちこそありがとう。 来てくれて、話してくれて。
167 汐梨:ううん、ごめんね、ごめん。
168 惟人:大丈夫だよ。 そんなに謝らないでいいよ。
169 汐梨:ん。
170 惟人:帰ろ。ほら、右手貸して。
171 汐梨:ありがと、右側歩いてくれて。
172 惟人:僕が君の右耳の代わりになるから。
173 汐梨:……うん。ありがと。
【研究室】
(ドアノック)
174 汐梨:失礼します…。先生?
175 惟人:どうぞー。
176 汐梨:……今日もメモ見つけてきました。 「これを届けてくれるイイ子に会いたい」、でした。
177 惟人:うん、そう。やっぱり汐梨はイイ子だった。
178 汐梨:子供扱いしないでください。
179 惟人:だってこうでもしないと研究室に来ないでしょ。 最近、なんか二人で会ってないし。
180 汐梨:……忙しくて。
181 惟人:なんかあったの?
182 汐梨:…ううん。
183 惟人:なんかあったでしょ。
184 汐梨:……。
185 惟人:どうしたの?
186 汐梨:……。
187 惟人:ん?
188 汐梨:……私、自分のこと嫌いになりそう。
189 惟人:どうして?
190 汐梨:先生って横顔が好きなの?
191 惟人:は?
192 汐梨:奥さんも横顔が綺麗な人だったんでしょ? 前、言ってた。 物静かで、だけど芯が強くって。でも見かけではわからないけれど体に不調があって。 …私と似てる??
193 惟人:え? 彼女と?
194 汐梨:私も口数は少ない方で。見た目では片耳が聞こえないなんてわからない。よく横も向いてる。
……奥さんと似てる? 私、似てるの?
195 惟人:汐梨……。なんでそういうふうに結びつけたか分からないけれど。
似てないよ。似てない。
196 汐梨:うそ。私とやりとりしてるメモだって、奥さんとしてたことが懐かしいだけでしょ? 奥さんと続けたかったことだから、私にしてるんでしょ?
197 惟人:違う。
198 汐梨:私、奥さんの代わりじゃないよ。
199 惟人:もちろん。
200 汐梨:私、汐梨だよ。
201 惟人:……。
202 汐梨:なんか言って。
203 惟人:代わりなんかじゃない。 汐梨は汐梨。
204 汐梨:代わりだよ……。
205 惟人:違う。
206 汐梨:うそつき。
207 惟人:……じゃあ言わせてもらうけれど。僕はお兄さんの代わりじゃない? 汐梨のお兄さんに対する愛情を、伝えられなかった愛情を。受け取れなかった愛情を。今はいないお兄さんの代わりに、僕に求めていないか?
208 汐梨:違うっ。
209 惟人:ほんとに?
210 汐梨:ほんとに。
211 惟人:無意識にそうしてるかもしれない。 汐梨が年上の人に惹かれるのもそのせいかもしれないんだよ。
212 汐梨:なんでっ。なんでそんなこと言うの…。 違うよ。ちゃんと先生のこと好き。
213 惟人:僕だって好きだよ。
214 汐梨:……なんでこうなっちゃうの。
215 惟人:僕の気持ち、伝わってない?
216 汐梨:片耳が聞こえないから私は一生普通の恋愛なんかできないって思ってた。でも、そんなことさえ気にならないほど普通に接してくれて、初めて好きな人と両思いになれたって嬉しかった。 そしたらもう余計に先生しかこの先私を好きになってくれる人なんていないんじゃないかって。 誰にも余所見しないでずっと隣にいてくれるのかなって。 先生の心の中に私しかいないようにならないかなって。
217 惟人:うん。
218 汐梨:そしたら奥さんの存在はどうなんだろうって。 若いままの姿が先生の記憶に残って、きれいな思い出ばかりが残って。 先生の頭の中から…、心の中からきっと出ていかない。
……亡くなった人には……勝てないよ。
219 惟人:汐梨…。
220 汐梨:だから、不安。
221 惟人:そっか。
222 汐梨:……ん。
223 惟人:信じてもらえるかは分からないけれど。 彼女…奥さんのことはもう、消化できてるんだ。 確かに、僕の記憶の中では彼女は歳を取らないし、素敵な思い出ばかりだ。 でもね、人間って忘れていく生き物なんだよ。 亡くなったばかりの時は彼女と喧嘩したことも命と戦っている辛い様子も、嫌な悲しい記憶として、むしろそういう思い出の方が強く残ってた。 でも月日が経つにつれて、悲しい記憶は忘れていって楽しかった記憶だけが僕の中に残っていったんだ。それって僕が彼女への気持ちを「思い出」として消化したからじゃないのかな。
224 汐梨:消化……した…の?
225 惟人:うん、僕はそう思ってる。「消化」なんて、あんまりよくない言葉かもしれないけれど。
226 汐梨:……。
227 惟人:不安はまだ取れそうにない?
228 汐梨:わかんない…。
229 惟人:そっか。 心理学研究してるっていうのに、全く自分のことには活かせないなんて僕もまだまだ未熟だな……。
230 汐梨:そんなこと……。
231 惟人:汐梨の中で消化できないとどうしようもないのかな…。 君の聞きたいことは答えるし、不安がなくなるまでなんでも伝えるよ。
どうしようか…。 少し落ち着くまで考えてみる?
君が欲しいものや求めることは叶えてあげたい。約束する。
232 汐梨:考える…。
233 惟人:そしたら、しばらく大学も長期の休みに入るし、また休み明けの授業の時にメモ置いとくよ。 その時、汐梨がどうしたいか教えて。
234 汐梨:わかった。 ……ごめん、ごめんね。
235 惟人:謝らないで。 悪いのは汐梨じゃない。そんな思いをさせる僕だ。
236 汐梨:違っ…。
237 惟人:大丈夫。 僕は汐梨を嫌いにならない。 耳のことで君が過去にどんな思いで普通の恋愛を諦めてきたか。それを理解した上で付き合ってきたつもりだよ。
238 汐梨:ごめん…なさい。
239 惟人:また謝る…。 ありがとうって言って。
240 汐梨:ありがと…。
241 惟人:じゃあ、ゆっくり考えてみて。 願わくば僕の隣にまだずっといて欲しいな。
242 汐梨:……考えて…みます。
243 惟人:ん。帰り、気をつけて。 今日は一緒に右側歩いてあげられないから。
244 汐梨:はい。
245 惟人:…じゃあね。
【大学 講義室】
246 汐梨M:大学の5号館。1階の一番奥の階段教室、504。先生に初めて声をかけられた講義の単位を取ったあとも、この教室で行われる先生の別の講義をなるべく取っていた。
誰もいなくなった教室に今までのようにあの資料集が置いてある。 授業は出なかった。 今になって気づいたのだけど、置いてあるのが毎回のことなので、ここの備品だと思われているみたい。 教卓に歩いていく時間が今までの何倍もゆっくりに感じた。
247 汐梨:ほんとにメモ、ある? ちょっと見るの、怖いな……。
(資料集の表紙を開ける)
あった…。
248 惟人:「好きです。君が好きです」
249 汐梨:ばか…。ほんとにラブレターじゃん。
ふぅー(深い息を吐く)。 手帳に挟めてたメモ、いっぱいになっちゃったな。
250 惟人:「僕の研究室でコーヒー飲みませんか?」
「二人だけで誕生日のお祝いをしたいです」
「窓から入る秋の木漏れ日が君の横顔に反射して綺麗でした」
「元気のない君、ちゃんとご飯食べてますか」
251 汐梨:ふふ、全部取っておいたから手帳が膨らんできちゃった。
そうだ、メモ帳メモ帳…。
(メモに何かを書く)
よし…。これでいいかな。
ふふ、初めての返信がこれって……。
最初で最後、私からのメモ、受け取ってくださいね、先生。
私、弱いんだ…ごめんね先生。
……帰ろ。
【三ヶ月後・研究室】
252 惟人:はい、これで単位をあげられます。 次から、ちゃんと期限まで提出してください。
はぁ…、こういう厳しいこと言うの、僕には難しいよ。 みんなにちゃんと単位とってほしいから。
……いや、優しいわけじゃない。 心理学を学べるって信じてきた君たちにちゃんとお返しできてるかいつも不安なんです。
え? あぁ写真立て?
あー、ちょっとボケてるでしょ。
ふふ、だって写っているの誰か分かったらみんな噂するでしょ?
だから内緒。隠し撮りした一枚だし。
えー? そうだな…言えるのは……
「たったひとりの大事な人」、かな。
253 椎名M:学生が去ったあと、写真立ての裏側を見てぎゅっと胸が苦しくなる。
そこに彼女の最初で最後のラブレターが挟まっていることを誰も知らない。
もちろん彼女も。
254 汐梨:「私が欲しいものは、信じ切る強さでした。ありがとう、大好きでした」
(終)
※補足
台本タイトルと教室番号の504はエラーコード504より。
HTTPステータスコード(エラーコード)『504』は…
サーバー同士の通信に問題が発生しリクエストがタイムアウトしてしまった場合に表示される。少し時間を置いてからアクセスし直すことで解消する場合がある。
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