たったそれだけ【男3:女2】
題名『たったそれだけ』
声劇用 男性3名 女性2名 50〜60分
<登場人物>
・夏目 巧聖(なつめ こうせい):父。小説家。作家名も本名で活動。コウさんと呼ばれる。普段は穏やか。
・夏目 環希(なつめ たまき):優しく強く子供たちを愛す母。巧聖よりひとつ上。
・夏目 伊都(なつめ いと):反抗的な弟を見守る姉。母親譲りの強さを持っている。
・夏目 蓮介(なつめ れんすけ):大学生。最近悩みがあり家族と距離を置いている。髪は癖っ毛。
・橘 凌汰(たちばな りょうた):家族がよく通う喫茶店の若きマスター。素直。
※病状については実際の症例と異なる点がございます
以下をコピーしてお使いください
題名『たったそれだけ』
作:みつばちMoKo
夏目 巧聖:
夏目 環希:
夏目 伊都:
夏目 蓮介:
橘 凌汰:
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【リビング】
001 蓮介:俺、家出てくから。
002 巧聖:……は?
003 蓮介:父さんだって俺がいない方がいいだろ?
004 巧聖:どういうことだ? 分かるように説明しろ。
005 蓮介:知ってるんだ。 …っていうか、今日分かった。
006 巧聖M:人はそれぞれに人生の物語があって、それがどうなっていくのかなんて当の本人には分からない。
その人生を後悔しないで生きてきたのかなんて、それが分かるのはきっと死ぬときぐらいだ。
もし知ってるとしたら神様ぐらいだろう。
だから今、自分がやってることぐらい、責任持って楽しく生きていこうと誓っている。
たったそれだけ。
【リビング】
007 環希:おかえり。ご飯は?
008 蓮介:……食べてきた。
009 環希:あっ、ちょっと! ……反抗期?
010 伊都:それにしては遅くない? だってもう大学生だよ。中学生ならまだしも。
011 環希:そうなんだよね…。
012 巧聖:どうしたんだ?
013 環希:あら。お仕事ひと段落ついたの? 蓮介がね…家にいたがらないっていうか。帰ってきてもすぐ部屋にあがっちゃうし。
014 巧聖:反抗期か?
015 伊都:もうお父さんまで。……ほっとけば?
016 巧聖:まぁ俺がずっと家にいるのも気に食わないんだろ。
017 伊都:それはお父さんの仕事が在宅でできるからじゃん。普通小説って家で書くもんじゃないの?同業のお友達もそうでしょ?
018 巧聖:まぁな。でも年頃の子供にとったら、親がニートだと思われて恥ずかしいんだろ。その気持ちも分からなくはないしな。
019 環希:なんか他に理由があるんじゃないかな…。
020 巧聖:ほんとか…? 環希さんのそういう直感、意外と当たるからな。まぁ家にいる時は気をつけてみておくよ。
021 環希:うん、お願いね。
022 蓮介M:かすかにリビングから聞こえるそんな会話を聞きながら、俺はスマホにイヤホンをさした。父さんが家にずっといるのが嫌なのも、他に理由があるのも図星だ。
023 蓮介:明らかに違うんだよな、色々と。 はぁ……考えるのもめんどくせぇ。
【喫茶店】
024 凌汰:いらっしゃいませー。
おー、蓮介君。いらっしゃい。どこでも好きなとこ座っていいよ。
今はすいてるから選び放題。ついでに暇だから、好きなメニューも作っちゃうよ?
025 蓮介:ほんとこの店、大丈夫なの? いつ来ても暇そうなんだけど。
026 凌汰:いやっ、蓮介君が来る時がいっつもすいてる時なんだよ。ランチとかはこれでも人気あるんだからね?
027 蓮介:ふーん。まぁご飯は美味しいからな。
028 凌汰:夏目家にはほんとにお世話になっております。家族皆さんにご贔屓にしてもらって感謝してます。
029 蓮介:ていうか、贔屓にしてもらいたいのは姉ちゃんだけでしょ。
030 凌汰:なっ!いやっ……そんなことはないよ?うん。
031 蓮介:わかりやす。
032 凌汰:…で、なに食べる?
033 蓮介:カレー食べたい。まだランチ残ってる?Aランチ。
034 凌汰:あるよ。蓮介君のためなら腕によりをかけよう。
(少し間を取る)
035 蓮介:……俺とさ。
036 凌汰:うん?
037 蓮介:俺と……俺と姉ちゃんって……似てる?
038 凌汰:似てるって顔が?性格が?
039 蓮介:まぁ、どっちも?
040 凌汰:んー、顔はそんなに似てないかもなぁ。お姉さんは美人だけど、お前はなんかスッとした顔してる。
041 蓮介:なんだよ、スッとした顔って。
042 凌汰:まぁ感覚で受け取ってくれよ。 性格は……性格も違うな。 まぁ姉弟(きょうだい)で性格がまるっきり一緒っていうのも珍しいからな。
043 蓮介:母さんとは? ……似てる?
044 凌汰:お母さん、いやお母様も美人だよなぁ。
045 蓮介:いや似てるかって聞いてるんだけど。
046 凌汰:んー、それはさっきと同じ返事を返す。
047 蓮介:父さんとは似てる?
048 凌汰:そうだなぁ……一番似てるって言えば巧聖さんだろうな。雰囲気とかは似てる。
049 蓮介:……そっか。
050 凌汰:どうしたんだ? そんな真面目な質問、珍しいな。
051 蓮介:ん? そっかな。 最近ちょっと考えてたんだ。
052 凌汰:あーっ!それか! 伊都ちゃんが言ってた!最近弟が反抗期だって。
053 蓮介:はぁ? 反抗期? なにそれ…。
054 凌汰:家にあんまりいたがらないって言ってた。 ほんとなの?
055 蓮介:……なんか……顔合わせて、なに話せばいいか分からないんだ。 俺が今悩んでることが伝わっちゃいそうで。
056 凌汰:なんかよく分かんないけど。……伝えてみればいいんじゃない?
057 蓮介:は?
058 凌汰:だから何か悩んでることあるんだったら言ってみればいいんじゃない?…家族なんだから。
059 蓮介:マスターってたまにサラッと核心つくようなこと言うよね。
060 凌汰:たまにだけどな。たまに。
061 蓮介:簡単に聞けることじゃないんだよね。 俺の今後に関わるかも知れないから。
062 凌汰:そういうのって意外と答えは単純だったりするかもよ。 まぁ急がないならゆっくりタイミングみていけばいいんじゃない?
063 蓮介:……ほんとサラッと助言してくの、なんなの。
064 凌汰:これでも喫茶店のマスターですから? 色々な相談されてるんですのよ。
065 蓮介:なにその口調。気持ち悪い。まぁ、ありがとう。ちょっと考えてみる。
066 凌汰:うん、そうしなよ。
067 蓮介M:人生が一冊の本なら俺の人生は今どの辺なんだろう。
まだ序章なんだろうか。それともここから話が展開していくところなんだろうか。
【スーパー駐車場】
(車のドアを開ける音)
068 環希:お待たせ。ごめんね、買い忘れたものあって。 お詫びにはい、コーヒー。缶コーヒーだけど。
069 伊都:ありがと。
070 環希:帰りも運転してくれるの?
071 伊都:もちろん。じゃ帰りますか。
(エンジンスタートし走行開始)
(少しの間をとる)
(助手席の母がお腹を触っている)
072 伊都:お母さん…?
073 環希:ん?
074 伊都:どうしたの? お腹いたいの?
075 環希:え? ううん。
076 伊都:お腹のあたりさすってたよ? 痛いの?
077 環希:嘘ほんと? いや今は痛くない。
078 伊都:「今」は?
079 環希:痛いときがあったんだけどね、そのときお腹さするのが癖になってたからだと思う。
080 伊都:病院行ったの?
081 環希:行ってないよ。ほら、もうすぐ市の検診があるじゃない。その時に診て貰えばいいかと思って。
082 伊都:大事にならないようにちゃんと診てもらいなよ?
083 環希:うん、わかった。
084 伊都:うちらの親世代の中ではお母さんは若い方だけど、病気って年齢関係ないものもあるじゃん。 だから、ね?
085 環希:ふふ。ありがと。ちゃんと診てもらう。ところで、伊都。最近、蓮介と話…する?
086 伊都:んー……いや、しない。
087 環希:やっぱり? なんか距離置いてる感じしない?
088 伊都:反抗期だから?
089 環希:うーん……なんだろ。男の子だし、家族とべったりはしないだろうけど。なにか考えてるんだろうけれどね。悪い方向に行かなければいいなぁって。
今の時期って子供と大人の狭間にいるでしょ?大事な時期だと思うの。自分で解決しなきゃいけないことも出てくるし、周りがフォローしなきゃいけないこともあって。
だから、その見極めは大切。構いすぎもダメ、ほっときすぎもダメ。
090 伊都:お母さんさぁ、若く結婚したのに、そういうとこしっかりしてるよね。 どんな人生経験してきたの?
091 環希:ふふ。まぁそれなりに? 親になって初めて知ることってほんと多いの。 あのとき自分の親もそうだったのかなぁってほんと考えさせられる。ちゃんと愛してあげなきゃって。
092 伊都:お母さん……。
あっ、私からマスターに探り入れとこうかな。反抗期かもってことは伝えてあるし、蓮介が何か言ってるかもしれないから。あの子、あれでもマスターに懐いてるし。
093 環希:そうね。お願いね。 あっ、みて、あの公園。ほら、あの大きな木! 蓮介と二人でよく登ろうとして頑張ってたよね。
094 伊都:蓮介が登れなくてね。友達にも馬鹿にされて…。
095 環希:あなたが守ってくれたって聞いたけど?
096 伊都:理由はどうであれ、自分の弟が馬鹿にされるのって腹たつじゃん。 当たり前のことしただけ。
097 環希:ほんと守ってくれてた、ずっと。
098 伊都:家族…だからね。
099 環希:うん。
【喫茶店】
100 伊都:こんにちは。
101 凌汰:伊都ちゃん! いらっしゃい。いつもの窓側の席、空いてるよ。
102 伊都:んー…今日はこっちにする。カウンター。
103 凌汰:あれ、珍しいね。 オーダーは?
104 伊都:カフェオレ。ミルク多めで。
105 凌汰:はーい。かしこまりました。
(少しの間をとる)
お待たせしました。どうぞ。
106 伊都:ありがと。
107 凌汰:どうしたの? 考えごと? 難しい顔してる。
108 伊都:え、ほんと? やだなぁ。眉間に皺寄ってた?
109 凌汰:いや、そこまでじゃないけど。 いつもと違うっていうか……俺だから分かるっていうか……。
110 伊都:蓮介。
111 凌汰:え? 蓮介くん?
112 伊都:うん、そう。 最近、ここ来てる?
113 凌汰:あーうん。来てるよ。
114 伊都:どう?
115 凌汰:どうって? あー、反抗期かもっていうやつ?
116 伊都:そう。 どんな感じだった?ここ来たとき。
117 凌汰:なんか悩んでるっていうか、考えてることがあるみたいだったな。
118 伊都:そっかぁ。 内容は? なに悩んでるか言ってなかった?
119 凌汰:いや、それは聞いてない。自分の今後に関わることだって言ってたかな。 だから、伝えてみればって言った。
120 伊都:伝える?
121 凌汰:自分の悩みが伝わってしまうのが怖いみたいだから、思い切って伝えてみたらって言ったよ。
122 伊都:そうなんだ…。
123 凌汰:うん。
124 伊都:あのね……これはひとりごとだと思って聴いて欲しいんだけど。
もしあの子が考えていることが私の思ってることと同じなら、多分それなりに傷つくことなの。ううん、ショックを受けると思う。 それはどうしようもない事実なんだけど、私もお父さんもお母さんもあの子がそれを受け止めて生きていけるようにしていく覚悟なの。
私なんて小学生のころから覚悟してるんだから。
125 凌汰:なんか、俺が首突っ込んじゃいけない感じかな……。
126 伊都:マスターはもう首突っ込んでるでしょ。最後まで付き合ってもらうから覚悟して。
127 凌汰:俺でいいなら。
128 伊都:マスターだからいいの。
129 凌汰:ね、ね、俺、泣いていい? ちょっと嬉しいこと言われたんだけど!
130 伊都:そういう単純なところ素敵よ?
131 凌汰:…は? え? 素敵? 素敵って言った? やっぱり泣いていい?
132 伊都:ふふ、馬鹿じゃないの?
133 凌汰:馬鹿でいいんだ。もう今日はこの嬉しさに浸りたいから店閉めていいかな?
134 伊都:勝手にして。……でも、感謝してるよ、いっつも。
135 凌汰:……やっぱり、店閉める〜!!
136 伊都M:人はそれぞれに人生の物語があって、それがどうなっていくのかなんて当の本人には分からない。
その人生を後悔しないで生きてきたのかなんて、それが分かるのはきっと死ぬときぐらいだ。
だから私は自分の信念で生きていく。父に、母に、教わったものがあるから。
守るものがあればそれに命をかけたっていい。
たったそれだけ。
【リビング】
137 環希:ちょっと話あるんだけど……いい?
138 巧聖:なんだ?
139 環希:伊都も、いい?
140 伊都:うん。
141 環希:あのね、手術することになった。
142 巧聖:……は?
143 環希:この前、病院行ったでしょ。それで検査結果、聞いてきたんだけどね。
……腫瘍があるって。大腸に。
144 伊都:腫瘍って。
145 環希:うん、だからそれを取るための手術。
146 巧聖:取れば治るのか?
147 環希:……それがね。まだ悪性か良性か分からないんだって。だから、手術した時にとった組織を検査してみないとどっちか確定診断できないみたい。
148 伊都:もし……もし悪性だったら?
149 環希:ガンってことになるね。
150 巧聖:……ガン。
151 伊都:いつ? いつ手術するの?
152 環希:三週間後。そこにたまたま空きがあって。 今後の治療方針を決めるのに悪性か良性か判断するから早めの方がいいだろうって先生が。
153 伊都:やっぱりお母さん、お腹痛かったって言ってたの、それだったんだ…。
154 環希:ふふ。こんな大事(おおごと)になるなんてね。
155 伊都:あのとき、冗談まじりであんなふうに言ったけど。 お母さんがお腹痛いのって……蓮介が反抗的だからストレスから来てるんじゃないかって、そんなふうに考えてたのに。
156 環希:まぁそれも当たってるような気はするけど。
157 巧聖:大丈夫…なのか?
158 環希:大丈夫。ほら、私、丈夫で健康なのが自慢だったりするから。 だから大丈夫。きっと。……大丈夫。
159 巧聖:環希さん…。
160 環希:それにね、まだまだやりたいことあるの。蓮介のことも。自分のことも。
コウさんが小説で賞を取るまで。伊都がお嫁に行くまで。そして……蓮介が乗り越えて大人になるまで。そんな幸せな未来を迎えるために、まだまだ生きなきゃいけない。
だから、簡単にはへたばらないから。 安心して?
161 巧聖:俺らに何かできないのか?
162 環希:そうね…。私が入院してる時は、家のこと、お願いね。
163 伊都:それはもちろんだけど。
164 環希:大丈夫よ、きっと。
165 巧聖:……知ってるか? 大丈夫っていう時は自分に言い聞かせてる時とほんとに大丈夫じゃない時なんだ。
166 環希:ふふ。さすがお見通し。……不安よ…ほんとは。でも、なんだかね、体が不安っていうよりも、家族と過ごせなくなるのかもっていう不安の方が強くて。
それぐらい大事なの。コウさんも、伊都も、蓮介も。
167 伊都:はぁぁ。ほんとなんでこういう時にあいつ居ないの!
168 環希:ほんとにね。ふふ。
169 巧聖:蓮介、どういう顔するかな。環希さんのこのこと知ったら。
170 環希:どうだろ…。今あの子の中にある不安を増すものではないことを祈るしかないわ。
171 巧聖:俺から、蓮介に話すよ。
172 環希:うん、お願い。……お願いね。
【蓮介の部屋】
(ドアノック音)
173 巧聖:蓮介?いるか?
174 蓮介:……なに。
175 巧聖:開けてもいいか。
176 蓮介:別に。
(ドア開ける)
177 巧聖:今日、大学の授業ないのか?
178 蓮介:休講になった。
179 巧聖:あのな。環希さん、手術することになった。
180 蓮介:……は?
181 巧聖:大腸に腫瘍があるらしい。
182 蓮介:腫瘍…。
183 巧聖:それで、良性か悪性かはまだ分からないらしい。もし、もし悪性だったら…ガンってことだ。
184 蓮介:ガン…。
185 巧聖:手術は三週間後。もし緊急のことがあれば、家族の協力が必要なんだ。 だから、心に留めといてほしい。
186 蓮介:…緊急って。
187 巧聖:万が一のこともあるからな…。
188 蓮介:…そう。
189 巧聖:お前、大丈夫か?
190 蓮介:何が?
191巧聖:スマホのイヤホン、外れてるぞ。動揺してるのか?
192 蓮介:…大丈夫だよ。
193 巧聖:そうか。まぁそういうことだから。頼むな。
194 蓮介:病状説明とか同意書とか…家族じゃなきゃダメだってことだろ。
195 巧聖:そうだな。
196 蓮介:……わかった。
197 環希M:そんなやりとりがあったことは知らないけれど、何かの転機になるような気がしていた。母親の感。私の人生の物語は中盤なのだろうか。それとももう最終章なのかもしれない。
【リビング】
198 巧聖:えーと着替えは…。どこだっけ?
蓮介…いたのか。この時間にいるの、珍しいな。環希さんの手術、まだ時間かかりそうだから、着替え取りに来たんだ。お前も一緒に病院行くか?
199 蓮介:いや、行かない。
200 巧聖:用事あるのか?
201 蓮介:俺、家出てくから。
202 巧聖:……は?
203 蓮介:すぐには無理だけど。近いうち。
204 巧聖:だから、何言ってんだ? 今日、環希さんの手術の日だぞ? 今、環希さん、頑張ってるんだぞ?
205 蓮介:わかってる。でもそれは家族だから大事なんだろ。……俺は家族じゃないし。
206 巧聖:ほんと何言ってんだ? さすがに家族じゃないってどういうことだ。
207 蓮介:父さんだって俺がいない方がいいだろ? 母さんの手術結果だって家族にだけ説明あるんだろ? …じゃあ俺は無理だ。
208 巧聖:どういうことだ? 分かるように説明しろ。
209 蓮介:知ってるんだ。…っていうか、今日分かった。
210 巧聖:何が?
211 蓮介:……これ。 戸籍謄本。
212 巧聖:戸籍…。
213 蓮介:馬鹿だよなぁ俺も。さっさと戸籍見ればよかったのにさ。 自分の考えてたことが嘘ならいいなって思って、取りに行けなかった。 でも…、でもそこに真実があった。
養子……なんだろ?俺。
214 巧聖:……その……あのな。
215 蓮介:ここ数年、俺だけこの家族の中で浮いてるような感覚があって。
好きなものも俺だけ違う、顔も似てない、生まれた時の写真もない、そんなことを考え始めたら、いろんなことが俺だけ違ってるような気がして。
父さん母さんは直毛で俺は癖っ毛。体も成長してくるにつれて家族の誰にも似たような体型の人はいない。しまいには仲のいい友達にもお前、血が繋がってないんじゃないかってからかわれた。
親に叱られたら自分はこの家の子じゃないのかもって、子供が一度は思いつく悩みかもしれない。普通はそんなの杞憂に終わるのにな…。だけど、俺の場合は本当だった。
大学生になったから一人で生きて行けそうだし、まあ学費は出してもらえれば助かるけれど…。生活費なんかはバイトでやっていくし。
216 巧聖:ちょっと待て。養子だからって出ていく理由にはならないだろ?
217 蓮介:俺が、ここに居ずらい。今まで通りにはできない。 もし母さんに万が一があっても、血とか体の一部をあげることもできない。
それに、養子ってことは……。理由はどうであれ、俺…ほんとの親に…捨てられたんだろ?
218 巧聖:待て。黙って聞いてれば、自分の思い込みでなんでも決めやがって。
捨てられた…だと?
ふざけんじゃねぇ。
お前の母親はなぁ!お前を育てたいけどどうしても無理だってわかって、俺にお前を託したんだ!泣いて泣いて仕方なく俺に頼んだんだ! 捨てたとか……二度と…、二度と言うな!
219 蓮介:なんでだよ! じゃあ、なんで俺を手放したんだよ! 産んだんなら最後まで責任持てよ! 俺のことなんて大事じゃなかったんだろ?!
愛されて…なかったんだろ?!……望まれて生まれてきたんじゃないんだ!
220 巧聖:違う! それは断じて違う!
221 蓮介:何が違うんだよ! 俺のほんとの親ってどこにいんだよ! 誰なんだよ!
(少し間をとる)
222 巧聖:……いつか話さなければいけないと思ってた。 今まで話さなかったのは俺が悪い。すまん。
223 蓮介:知ってるなら言えよ。教えろよ!
224 巧聖:お前の実の母親はな……俺の姉さんだ。
225 蓮介:…は?
226 巧聖:俺の姉さんがお前の実の母親だ。
227 蓮介:は? 父さんに姉?
228 巧聖:お前は会ったことない。存在も知らないだろ? 伊都も顔は知らない。知ってるのは環希さんだけだ。
229 蓮介:なんで?
230 巧聖:姉さんはお前のその…実のお父さんと結婚したかったんだ。 ……だけど、反対されて。そしたらお父さんは逃げた。
そんな時、お前を身籠もってるのがわかった。姉さんは産むと決めた。 それはそれは大事そうにお腹をいつも撫でてたよ。早く会いたいって言ってた。
産気づいた日、俺が付き添った。
結構な難産でな…。そしてお産中に臍の緒が赤ちゃんの首に巻き付いてるのが分かった。
姉さんは、どうか赤ちゃんを助けてと自分も苦しいのに先生に頼んだんだよ。
最終的には緊急で帝王切開になった。
231 蓮介:俺……そんなふうに生まれたの?
232 巧聖:あぁ。そしてなんとか無事にお前が生まれた。
そのあとな。 姉さんは「赤ちゃんに…触ってもいいですか?」って泣いていた。
泣いてるのが、自分で分からなかったんだろう。看護師さんに「ティッシュ持ってきますね」って言われて自分が泣いてることにやっと気付いてた。
それぐらいすごく嬉しかったんだろうな。
233 蓮介:そんな…。
234 巧聖:これ聞いてもお前はまだ愛されてなかったって言うのか? 望まれて生まれてこなかったって言うのか?
235 蓮介:じゃあなんで……なんで俺を手放したの?
236 巧聖:姉さんは一人で頑張って育ててた。でもな、頑張りすぎて心の病気になった。 育児うつってやつだな。 それがあまりにもひどい状態で。お前をそばに置いとくのも危険な状態になった。
ときどき、ごくたまにな、正常な姉さんに戻るんだよ。その時、俺に言ったんだ。「蓮介を頼む」って。
だから、俺はお前を育てることにした。 だけど、勘違いするなよ? いやいやじゃないからな。仕方なくでもない。お前、俺になついてたからな? 可愛くってさ。 父親っていう存在を赤ちゃんながらに求めてたんだろ。
237 蓮介:母さんや姉ちゃんは反対しなかったの?
238 巧聖:環希さんはすんなり受け入れたよ。俺が遅かれ早かれそうするだろうって思ってたらしい。伊都はもう小学生だったから、事実を話した。 母親のお腹が大きくないのに突然赤ちゃんがうちに来ても不思議だろうからな。話したあと、びっくりしたのはこっちだ。
伊都はな、「分かった。私が弟を守ればいいのね」って言ったんだ。
ふふ。環希さんも肝座ってるけど、さすがその娘だよ。
239 蓮介:そっか…。姉ちゃんらしいや。
240 巧聖:だからお前は俺と血は繋がってるし、お前はちゃんと家族だ。 環希さんと伊都に話したその日から、な。
241 蓮介:家族……。
242 巧聖:でも血のつながりだけが家族じゃない。それを実感してるのはお前自身だろ。
243 蓮介:……うん。だから、ここにいるのが申し訳ないって思ってたのかも。
244 巧聖:あとな。戸籍に「養子」って表記されないようにもできたんだけど…あえてしなかったんだ。 お前は姉さんの子でもあり俺たちの子でもあるから。姉さんがちゃんと愛してたってことを残しておきたかった。
245 蓮介:そっか…。
(電話着信音)
246 巧聖:伊都からだ。 俺は荷物取りに一旦帰ってきたけど、伊都は病院で待機してたからな。
(通話開始)
もしもし? あぁ。…終わったか。
…うん。 環希さんは大丈夫そう?
…そっか。 まぁ詳しくは検査結果待ちだな。
ありがと。 麻酔が覚めるころまでには病院に戻るよ。
あぁ。よろしく。
(通話終了)
247 蓮介:母さん、どうだって?
248 巧聖:無事終了したらしい。手術も成功したって。
249 蓮介:そっか。よかった……。
250巧聖:腫瘍もな、見た目は悪性じゃなさそうだって先生が言ってたらしい。
251蓮介:ほんと?
252 巧聖:お前……ほんとはすごく心配だったんだろ? ほんとの家族じゃなかったら何もできないのが悔しくて、今日、出ていくって言い出したんだろ?
253 蓮介:父さんってエスパー?
254 巧聖:これでも小説書いてるから、想像力は自信あるんだ。
255 蓮介:ふふ、そっか。……そうだね。
256 巧聖:お見舞い、行ってやれよ。
257 蓮介:なんか…いきなり優しくするの…恥ずかしいな…。
258 巧聖:恥ずかしいことあるか? 友達じゃなくて家族なんだからさ。
259 蓮介:うん…。あっ、マスターのとこのプリン…持って行こうかな。 あのプリン、母さん好きだろ?
260 巧聖:あぁ、それがいいな。…それがいい。
261 蓮介:あのさ。たぶん今の気持ちを消化するのは時間かかると思う。 でも母さんの手術の日に聞けたってこともまた運命なのかなって思う。
262 巧聖:あぁ。新しく何かを始めるような気持ちになれそうか?
263 蓮介:…うん。たぶん。
264 巧聖:じゃあまず散髪でもしてこい。 実のお父さん譲りのその癖っ毛も整えるとかっこよくなるだろ。だから、その髪も愛してやれ。
265 蓮介:実のお父さん譲り、か…。ふふ。そうだね。
【病室】
266 蓮介:母さん。
267 環希:あら、来てくれたの。
268 蓮介:これ、プリン。マスターのとこの。
269 環希:わっありがと。嬉しい。
270 蓮介:座っていい?
271 環希:もちろん。
272 蓮介:あのさ……。
273 環希:コウさんから聞いた。全部、ほんとのこと、聞いたんだよね?
274 蓮介:……うん。
275 環希:そっか。
276 蓮介:ね…。母さんはなんで俺を引き取ること、反対しなかったの? 自分の子供じゃないんだよ? 抵抗……なかったの?
277 環希:お姉さん、あっあなたのほんとのお母さんね? すっごくあなたを愛してたの。
私もときどき様子を見に行ってたから、それを目の当たりにしててね。
こんなに愛されてる子は幸せだろうな。私も伊都にそうしてあげれてるかなって思った。
お姉さんが育てられそうもなくなって、コウさんは絶対あなたを引き取るっていうと思った。お姉さんの愛情を途切れさせてはいけないって。あなたに注がれるはずの愛情を無くしてはならないって直感で思っちゃった。
私がそれを受け継げるのなら、やるしかない、やらせてほしいって。
278 蓮介:なんか、愛とか愛情とか、言葉で聞くと恥ずかしいな。
279 環希:ふふ。あなたは私の可愛い子供よ。そして家族。 反抗期だって家族だからあるものでしょ?
280 蓮介:それは、その、このことが原因だっだし。
281 環希:もう家出てくなんて言わない? まぁいつかは独立して結婚もするだろうから出てくんだろうけれど。
282 蓮介:もうちょっとお世話になるよ。
283 環希:もうちょっとって言わず、いつまでも居ていいのよ。
284 伊都:えっ、それじゃニートになっちゃうじゃん。
285 蓮介:姉ちゃん…。
286 伊都:蓮介、来てたんだ。 お母さん、お花の水代えてきたから、ここにまた置いとくね。
287 環希:ありがと。
288 蓮介:……プリン持ってきた。
289 伊都:偉いじゃん。いい子いい子。
290 蓮介:なんだよ、子供扱いして。
291 伊都:子供みたいなもんでしょ。あんたはずっと私の弟。今までも。そしてこれからも。
292 蓮介:姉ちゃん…。
293 伊都:私が言えることはそれだけ。でもその言葉って最強でしょ?
294 蓮介:……うん。 ありがと。母さんも姉ちゃんも。
295 環希:あっあとね。コウさん言ってないみたいだけど……実のお母さん、生きてるから。
296 蓮介:はぁ? 何それ?
297 伊都:ほんと?
298 蓮介:は? 父さん、会えないって言ってたよ? 死んだと思ってたけど、違うの?
299 環希:なかなか会えないだけで、ちゃんと生きてる。 …そのうち、会えると思うよ。
300 蓮介:そうなんだ。うん、そっか…。でも、今はいいや。うん。
301 環希:そう? 私たちに遠慮はしなくていいのよ?
302 蓮介:遠慮じゃない。 今は、なんていうか、ここにいることの幸せを感じていたいっていうか。
303 伊都:あら。いいこと言うじゃん。
304 蓮介:たまにはな。たまに。
305 伊都:……それ、誰かが言ってそうなセリフなんだけど。
306 蓮介:ふふ。誰だろね?
307 環希:ね、あのね、きっとこのプリン食べたらすっごい幸せの味すると思うんだけどなぁ。 どう思う?
308 伊都:単にすぐ食べたいだけでしょ?お母さん。
309 環希:そうとも言う。
310 伊都:腫瘍が悪性じゃなかったって分かったら、食欲も戻っちゃってさ。
311 蓮介:ふふ。じゃ、食べようよ。
(小声で)……なんか…すごく…幸せかも。
312 伊都:ん? なんか言った?
313 蓮介:…いや、何も言ってないよ。
314 環希M:人はそれぞれに人生の物語があって、それがどうなっていくのかなんて当の本人には分からない。
その人生を後悔しないで生きてきたのかなんて、それが分かるのはきっと死ぬときぐらいだ。
だから私は自分の大事な人たちを愛して、愛し続ける。
そして今度はその人自身が大事な人を愛していけるように。
たったそれだけ。
【喫茶店】
315 凌汰:いらっしゃ…って、巧聖さん…。
316 巧聖:ここ、いい?
317 凌汰:もちろんです。
318 巧聖:コーヒーもらえる? とびっきり美味いやつ。
319 凌汰:かしこまりました。
(少し間を取る)
お待たせしました。
320 巧聖:……美味いな、やっぱり。
321 凌汰:ありがとうございます。
322 巧聖:その…なんか、家族がお世話になったようで。 お礼をしなくちゃって思ってたんだ。ありがとう。
323 凌汰:お礼なんてそんな。
324 巧聖:なんだろ…俺も家族もマスターには心開いちゃってるんだろうな。
325 凌汰:嬉しい限りです。
326 巧聖:面倒くさくないか?
327 凌汰:全然です。
328 巧聖:俺自身、自分が後悔しないように自分の言動には責任持って生きていこうとは思ってるんだけど。たったそれだけなんだけど時々自信がなくなるんだ。
この仕事も好きだからやってるし、楽しいし。まぁ何にも浮かんでこない時は参るけど。
俺の生き方が正しいわけじゃないと思うけれど、でも何か家族や周りの人たちが生きていく何かの活力になればいいなって思っているんだ。
329 凌汰:なってると思いますよ、十分。
330 巧聖:そうかな? だとしたら嬉しいけれど。人は一人じゃ生きていけないって言うけれど、ほんとそうだと思う。リアルでもネットでも誰かと繋がってるかそうでないかでだいぶ違う。もし死ぬときはひとりでも…心の中に誰かいるか居ないかで幸せ度は多分違ってくる。そんな世界を小説でも書けたらいい。
331 凌汰:巧聖さんの小説、好きですよ。 もちろん書いている人も、その家族も。
332 巧聖:君も過去に大変なことがあったんだろうね。だから相談したくなるのかもな。
家から歩いてこれるところにこの喫茶店と君が居たのは、わたしたち家族にとって運命だったのかも。
333 凌汰:いやいや運命とか、大袈裟な。俺は、ただ皆さん家族が大好きなだけですから。
334 巧聖:そのうち、君もその“大好きな家族“になるんだろ?
335 凌汰:俺も……“家族“に?……なる? えっ、いや、その、それって!
336 巧聖:ふふ。これからもよろしく、マスター。いや、凌汰くん。
【父親の部屋】
(ドアノック音)
337 蓮介:父さん? 授賞式に遅れるよ? 車で送ってこう……って、いないし。
(机の上にある本に目をやる)
本にサインしてたのか…。まさかほんとに賞取るとはね…。
338 環希:コウさーん?そろそろ行かないと。あれ?コウさんは?
339 蓮介:部屋には居ないよ。多分緊張してお腹壊してるんじゃない?
340 環希:あら、また? ちょっとコウさーん? 大丈夫なのー?
341 蓮介:相変わらずだよ、父さんは。
342 伊都:あれ?お父さんは? 頼まれてた胸ポケットのハンカチ、持ってきたのに。
343 蓮介:多分トイレ。お腹壊してるかも。
344 伊都:またー? お父さーん?
345 蓮介M:人はそれぞれに人生の物語があって、それがどうなっていくのかなんて当の本人には分からない。
その人生を後悔しないで生きてきたのかなんて、それが分かるのはきっと死ぬときぐらいだ。
だから、俺はもらった分の愛情をためて、ためこんで、それを俺のこれからの人生で返していこうと思う。楽しく、けれど責任を持って。守るべきものは命をかけて守っていく。
たったそれだけ。
346 蓮介:ふふ。だっさいタイトル。けど……父さんらしいや。本名で勝負するとこも。
347 巧聖N:『たったそれだけ』 夏目巧聖。
この物語をあなたと一緒に。
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